夏目漱石著の「三四郎」を紹介&文学の観点から考える

夏目漱石著の「三四郎」を紹介&文学の観点から考える

どうもこんにちは、奴(やっこ)です。

今回は文豪として名高い夏目漱石「三四郎」について、

始まりから結末までの簡単な説明と共に、

純文学の側面から特徴を紹介していきたいと思います。

「三四郎」とは、ある青年の大学生活を綴った物語

 

この作品は、「吾輩は猫である」の3年後に朝日新聞に連載されたものです。

明治41年、西暦1908年。

つまり今から100年以上も前に書かれたものであります。

実際に制作された年を数字におこすと、今もこうして読まれ、親しまれているということに感慨がわきますね。

その後の「それから」「門」に続く三部作の第一章として知られています。

それぞれの作品の主人公は異なっており根本に据えられるテーマが次作へと引き継がれていきます

――「三四郎」の主人公である三四郎が抱えた苦悩を、

次作「それから」の代助が、三四郎の”それから”としてさらに進展した問題を扱い、

次には「門」の宗助が……と続いていきます。

話自体が繋がっている訳ではないので、どの作品から読み始めても構いませんが(自分は「それから」を最初に読みました)、

順番にテーマを追いたい方は、一作目の「三四郎」から読み始めると良いでしょう。

あらすじ.

物語は、大阪へ向かう電車の中にて、三四郎のうとうとしている場面から始まります。

その時向かいに座っていた女性と、その後なし崩し的に同じ宿の同室に泊まることになるのですが、

そうして何事もなく一夜明けて女性に投げられる言葉は、主人公の中に挑発的な印象と共に強い刺激を与えます。

「あなたは余っ程度胸のない方ですね」

三四郎の都会に対する引け目と畏怖が浮き彫りになります。

東京帝大(現在の東大)入学の為、地元の熊本から東京へとたどり着いた三四郎。

都会の目まぐるしい活動と、そこへ接触しない自分自身を発見して不安に駆られます。

母からの手紙を時代遅れのように感じながらも、丁寧に何度も読み返す場面は、孤独の表れとして読み取ることが出来ます。

三四郎は母の言づてに従い、東京帝大内の研究者、野々宮宗八(ののむら そうはち)を尋ねにいきます。

そうして大学内をうろつくことの増えたある日の夕刻、女性と出会います。

それはすれ違いざまに目を合わせる程度のものでしたが、

美禰子(みねこ)との出会いとして、三四郎の心に強烈に残るのでした

やがて大学生活が本格的に始まると、三四郎の孤独の膜は次第に取り払われ、交流の輪が広がっていきます。

能動的な主人公と対照的な活動家の与太郎と友人に。

汽車の中で相席になった高校教師とは、与太郎の慕う広田先生として再会します。

また野々村宗八の妹、よし子の病室を訪れることもします。

退屈な講義を受ける日々の合間に、彼らと一緒に菊人形(菊の生け花で衣装をかたどった展示物)を鑑賞しに出かけたり、運動大会を観覧したり。

また広田先生を表舞台に立たせようと暗躍する与太郎の企てに参加したり。

そうした中で、確固たる恋と言うには不明瞭ながらも、三四郎は美禰子に惹かれてゆきます……

たびたび蠱惑的な態度で三四郎に接する美禰子。

彼女の方でも二人の出会いの場面が記憶の中に息づいているようでした。

美禰子の漏らす「ストレイ・シープ(迷える子)」という言葉は、三四郎の胸を掴みます。

こうして美禰子との接触を繰り返すうちに、三四郎は頭のどこかで互いの中の恋を悟ってゆくのでした。

しかし形にしない感情は形にしないまま、

三四郎の憧れた美禰子の世界の中には結局いかなる物事も起こらないまま、結末を迎えます。

美禰子の縁談がまとまり、彼女は三四郎のもとから離れていくのでした。

原口という人物の描いた、美禰子の自画像、「森の女」を残して――。

「三四郎」にみる文学の形

 

「三四郎」と後の二作「それから」「門」の間には、実は明確な違いが存在しています

それは夏目漱石の作風の転換期があったためです。

「三四郎」「草枕」を含める前期の作品は、余裕派の文学として扱われます。

余裕派とは、人生に対して余裕をもって望み、世俗を離れ孤高を保って物事を捉える、という要素をもった日本文学の流派の一つです。

個人的な見解ですが、この余裕派の生まれたことは、夏目漱石自身の裕福な家庭に生まれ育ったことが影響しているでしょう。

(とはいえ、学生時代に苦労した人物でもあるため、単純な影響とは決めつけられません)

その頃の近代小説といえば、自然を観察し真実を追求するためにあらゆる美化を否定する自然主義が文壇の主流として扱われていました。

そうしてだから夏目漱石とその門下生は、当時に支配的だったこの自然主義に異議を唱えていたことになります。

夏目漱石曰く、「余裕のある小説と、余裕のない小説」だそうです。

そして反対に自然主義の方面からは、彼は余裕派として軽視されていたのです。

現在では文豪として代表的な夏目漱石は、意外にも当初から認められていたわけではなかったのですね。

夏目漱石はその後、「それから」から、近代小説に見られたような重苦しく深刻な現実的テーマを追求し始めます

これにより、彼は現代小説の作家として急速に重要人物となっていくのでした。

――さて、これらのことから分かるのは、

この「三四郎」という作品が、夏目漱石の目指した”文学”の方向性の転換を知るうえで非常に重要な位置にある、ということです。

また余裕派の集大成としてその文学性を知ることのできる著作であるとも考えられます。

感覚的な美というものは、観念の中で形にする必要があります……。

夏目漱石の中の小説は、以下のような2つに大別されていました。

「筋の推移で人の興味を誘う小説」「筋を問題にせず一つの事物の周囲に躊躇し低廻することによって人の興味を誘う小説」

そして「三四郎」に見られるような余裕派とは、後者を指し、

つまりは、何か書くべき意味や対象を表現するよりも、言葉自らが動いていく中で、ある俳味というものを読者の胸中に発生させることを目的とした流派のことなのでした。

……ところで自分は実は、ドイツの作家、トーマス・マン「魔の山」のように、

物事に対する深い哲学的思索を通じて得られる感動というものが好物であります。

なぜなら、それが現実の諸問題について、未知の領域の開拓を促すものであるからです。

そうして事実に対して得られた観念の、実際に 正しいか/正しくないか に関係なく、人の逐次の思考・苦悩・激情することの尊さ素晴らしさを表現しているからです。

それはとりもなおさず我々の有限かつ無目的な生に崇高な意義を示唆しているのです!

こんなに美しいものはないと、感動に打ち震えます。

ですから初め、自分は夏目漱石の支持した”文学”に否定的でありました。

彼自身の言う様な「読了後にただ一種の美しいという感じが残ればよい」というものは、

最重要の観念的中身を伴わない小手先の技術であるとまで考えました。

例えるなら、光り物のLEDライトを樹木に括りつけただけで、そこに美への探索も試行錯誤も感じられない、(されど美しいと言われる)八王子駅出口のイルミネーションのようなものだと思っていました。

しかし「三四郎」を読み終えた後にこの心中にあったのは、藍のように深い色の感動でありました。

元より心酔していた方を「爆発の感動」であるとしたとき、それは「清澄な感動」でありました

自分はこの時、悔しくも、それの持つ芸術性を認めるより他ありませんでした。

かくして知ることになった「三四郎」にある文学の形

これを自分は、時間という流動に抱擁を受ける人間精神の美であると解釈します。

「爆発の感動」が、時間という変化を置いて今という一点の美を掘り下げるものであるのに対し、

この「清澄な感動」とは、

人が思考・苦悩・激情しながら生きていく、”時の流れ”そのものに美を持たせるものではないでしょうか。

そうです、自分は「三四郎」を読み終えたとき、思念や観念に感動を覚えたというより、何より三四郎たちの生きた時間を愛したのでした……

この作品では、何事も解決を迎えるわけではありません。

しかし確かに我々の現実の日々に希望を与えるものでした。

こうした「清澄な感動」は、その後の夏目漱石の著作の中にも得ることが出来ます。

けれども、我々を包む流麗な時の美しさを直接的に、また最も色濃く感じることができるのは、この「三四郎」をおいてないように思われます

こうした意味で、「三四郎」の持つ文学的価値をここに讃えるものであります。

 

今回のまとめ

「三四郎」とは、上京した青年が送る学生生活をつづった青春小説である。

・「三四郎」は、後の「それから」「門」に続く三部作の第一章である。

・夏目漱石の作風は、「草枕」「三四郎」などの前半の作品において余裕派として知られており、「三四郎」は次作「それから」で近代小説のような重厚なテーマを扱うように変わる分水嶺である。

・「三四郎」の読了後に感じる澄み渡ったような感動は、人の精神を抱擁する時の移ろいの美しさである。